現世だけの絆に、
荒廃の陰りが見えてきたのは、
死者たちとの思い出を
なくしたからではないだろうか。石牟礼道子

石牟礼さんが子どものころの水俣では、人が死ぬと、「無常の使い」と呼ばれる使者が縁者の家を回ったという。

「お果てになりました」「仏さまになられました」と口上をおろそかにしてはならない。

男も女も仕事を休んで葬儀の準備を行い、子供たちには「無常のごちそう」がふるまわれた。

家族だけでなく、村の共同体すべてが葬儀に参加し、つかの間の生死の共同体を共にしていた時代。

「死者たちは生者たちに、おのが生命の終わりを餞に残して逝くのである。葬儀はその絆を形にしたものだった」。

石牟礼さんは90歳の生涯を尽くされ、2018年2月にお果てになった。死者の言葉として今、生きてはたらく。

『無常の使い』(藤原書店)より

(溝邊伸)

MONTHLY

今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

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MONTHLY

今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

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MONTHLY

今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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