バラバラで いっしょ
-差異(ちがい)を認める世界の発見-蓮如上人500回御遠忌テーマ

この言葉は1998(平成10)年に勤修された、蓮如上人500回御遠忌のテーマです。当時本山に勤務していた私は、このテーマ発表の場に携わらせていただきました。

 

東本願寺の御影堂には大スクリーンが設置され、時の能邨英士宗務総長が、映し出されたこのテーマを発表すると、堂内にどよめきが起こりました。

 

このような宗門内外のテーマといえば、「ともに」「同じく」「一心」といったような、心を一つにしてというような言葉がそれまでは多かったように記憶しています。

一般的に「バラバラ」という言葉は、物が壊れたり、人と人との関係性が崩れたりするときに使う文言であり、宗門が外に発信するテーマとしてはふさわしくないようなイメージがありました。

しかしあえて宗門はこのバラバラという言葉を選び、当時の最も大きな法要である蓮如上人500回御遠忌のテーマとして使ったのです。

 

あれから二十数年経った今、私たちはコロナウイルスという恐ろしい感染症に振り回され、戦々恐々とした日々を送っています。

生活は一変し、旅行は疎か、外出もままならない日々が続いています。仕事もテレワークという在宅勤務が続き、その出口の見えないフラストレーションから、家族間においてもDV(家庭内暴力)が増えているといいます。他府県ナンバーの自動車への嫌がらせや、感染した人やその家族に対する差別や偏見がはびこり、現代の大きな社会問題になっています。

 

あらためて考えたとき、「バラバラでいっしょ」とは『人種や性別や出自等の色々な差異(ちがい)を超えて、それぞれの差異はそのまま一緒にいていいんだよ』という仏様の呼び声のような気がします。

 

コロナウイルスの収束を願うのはもちろんですが、その前に互いの差異を認め合い、一人一人のいのちを尊重し合える世界を、それぞれが発見することを切に念じたいと思います。

(清原 宗)

MONTHLY

今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

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MONTHLY

今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

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MONTHLY

今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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