人間は死を抱いて生まれ、死をかかえて成長する『信國淳選集』第六巻「第一部浄土」柏樹

私たちは誰もが「生まれたものは死に往くもの」とは知っていても、死を抱えて生きているという実感がないのが事実です。死はこの身において成熟するものと言われますが、まことにその通りだと言わねばなりません。

私はこの歳になって初めて老眼を体験しました。まさに我が身が老いゆくもの死にゆくものであるという事実を突きつけられました。まさに死を抱えて生まれてきたという事実を分かったつもりでいる人間的未熟さを感じずにはおれませんでした。

人間は、いつまでも生きたいとおもう心によって死を逃れようとし、若さを誇って老いゆくことを厭う。そこに私たちの生に対する不安や苦悩が現れます。

しかし、それらの問いが「あなたはこれからどう生きるのか」ということに立ち帰さらせるはたらきとして受けたとき、本当に人間として生きる(成長)ということが始まるのでしょう。

亀井 攝

MONTHLY

今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

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MONTHLY

今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

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今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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