專性寺

寺院・教会名
專性寺(せんしょうじ)
所在地
〒822-0122 福岡県宮若市下924番地
電話番号
0949-52-2720
E-mail
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webサイト
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寺院活動

法要・行事

月まいり(月忌まいり等)/修正会/花まつり/お盆(盂蘭盆会)/お彼岸(春・秋)/永代経/初参式/仏前結婚式/報恩講/納骨堂法要

学習会

浄土真宗の話、経典、聖典、行事等について。釈迦や宗祖等の人物伝。

お墓・納骨堂
納骨堂
過去の宗教・宗派は不問/永代使用/生前申込/墓閉まい相談/仏事全般
お寺を会場とした
葬儀・法事
  • 葬儀×

  • 法事

  • 参詣人数30名~40名程度

駐車場
〇(20台以上)

由緒沿革

福生山(専性寺の山号)は天台宗であって、当寺は同町山王宮東南方湯原山麓新規庵と称し、元禄2(1559)年2月3日野火にて焼失した。元亀元(1570)年(織田信長が浅井・朝倉と戦った、姉川の合戦当時)向井寺の地に、「開祖 瑞心」天台宗寺院一宇を建立した。その後、二代住職 釈善徳 改宗(浄土真宗)して「専性寺」の寺号を受ける。天正4(1576)年3月、「福生山 専性寺」の寺号御本尊を許される。
東西分流において教如上人の流をくみ東本願寺であったが、黒田長政の命により筑前の国は西本願寺に転派させられた。長政没後、東本願寺(真宗大谷派)に帰山した。
3代目住職、釈白雪の時、寛永7(1630)年8月15日夕刻、本堂及び庫裏を焼失した。
4代目住職、釈雪竜 正保2(1645)年4月4日、本堂及び庫裏を現在の位置に再建した。当時は門徒千有余戸であって、宮田以西の鞍手庄・宗像・嘉穂(建花寺)にもその範囲が及んでいた。
筑前旅人の受持の寺であるが為、当時の転住所は悉く、此の専性寺のもとに届出許可をなしていた。
寛永10(1670)年4月寺格 飛担地恩賞になる。
寺伝に由れば、不焼地蔵は行基の作と云われている。また、宝暦7(1755)年建立の三部経典、一宇一石塔があり、九条道實寄進の三部経を宝物とする。
ただ惜しむべきは、昭和35年5月、隣家の火災により類焼して、本堂・庫裏とも全焼したが、門信徒の浄財によって、現在に至る。

特色

教化活動としては、毎月1日に婦人会が中心となって行っている同朋婦人会、10月第3日曜日に門徒会全役員研修会。また、納骨堂管理員会による管理体制も整っており、安心してご利用いただけます。山間農村地域で交通は不便ですが、その分のどかな環境です。

お寺からのメッセージ

当寺は、福岡市と北九州市のちょうど中間に位置し、トヨタ九州の工場が立ち並ぶ農村地域です。
元来浄土真宗のお寺とは、生きている時から親しんで頂く所(聞法道場)です。
聞法生活の中に阿弥陀様の智慧を頂き慈しみを感じ、日常の一つ一つの出来事に人生の尊さを教わりました。
日々、自分の思いに閉じこもり生きる人が、阿弥陀様の智慧に自身を学び、心を耕して頂く場所が浄土真宗のお寺であり家庭のお内仏(仏壇)でもあります。