死んでいく虚しさが超えられないのは、あなた自身の問題だからではないのか志慶眞文雄(細川巌先生から問われた言葉)

志慶眞文雄さんのインタビュー記事(『同朋新聞』2018年10月1日号)の言葉です。

志慶眞さんは、沖縄県で小児科医院を営みながら、聞法道場を開催されています。医学部時代、広島大学会館で行われていた細川巌先生(当時、福岡教育大学名誉教授)の「歎異抄の会」に参加。その際、細川先生から「死んでいく虚しさが超えられないのは、あなた自身の問題だからではないのか」と問われ、ハッとしたそうです。

「目の前のやるべき対象を変えることで生死の問題を解決しようと四苦八苦してきましたが、はじめて、実は自分自身の問題だったと気づかされたんです」と志慶眞さん。その後、沖縄に帰り、妻に「もう一度真宗の教えを聞くために、お金をかけて二階に聞法道場をつくりたい」と歩みをはじめられました。

志慶眞さんが大切にされていることは、「わからないことはわからないままでいい」。「南無阿弥陀仏」が分別で高上がりしていた傲慢な自分を翻す。「ああ、そうか。自分に願いがかけられていた。それを見失って生きてきたんだ」と。

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今月の言葉23

数年前、九州大谷短期大学真宗研究所主催の教化講習会に参加しました。法話の研鑽のみならず、教行信証の学習・仏教讃歌・カウンセリングの基礎・靖国問題学習など、お寺で生活する中ですぐ役立つ学びと僧侶として常に心がけておきたい様々な学びをいただき、素晴らしい同朋とも出遇えました。自分が思っていた以上に豊かな時間を与えてくれた教化講習会という場に、感謝の気持ちでいっぱいです。 特に、齋藤豊治先生のコミュニケーション学習の中で言われた「やわらかく接する」ということを、今も日々心がけています。 私たちは、苦手な人間に会って「ダメだ」と思った瞬間、威嚇や自己防衛反応で固さが出る。そのロック

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今月の言葉22

3月に、一年ぶりの彼岸会をしました。法要の中で、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(聖典149頁)という聖典の言葉が思い浮かびました。 「解読教行信証上巻 東本願寺」の訳によれば、「たまたま行信を獲たなら、はるかむかしからのご縁があったことを慶ぼう」とあります。 私なりに、乱暴な訳ですが、たまたまお寺に来ようと思いたち来たならば、はるか昔からのご縁があったことを慶びましょう。そう訳しても良いかと思います。宿縁とは、遠い昔から、今ここに自分があることを支える全ての条件を言います。 今、私がいることは、私に父と母がいるからですが、その父母にも父母がおられて、その父母にも当然お

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今月の言葉 21

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