今月の言葉 14
2020.10.02
私が さびしいときに 仏さまは さびしいの
金子 みすゞ
新型コロナの感染対策が最も求められているのが、医療機関や福祉施設。
もし感染すれば重症化する可能性が高いということで、面会も最小限に制限されています。
特に入院生活では、不安な気持ちで過ごす方がほとんどでしょう。そんなとき、家族や友人の面会や励ましが、なんと温かいことか。
しかし今、多くの病院や施設で面会が制限され、ベッドの上で、孤独を抱えている人がいます。
私は何ができるのか。そんなことを考えていたら、金子みすゞさんのこの詩が思い出されました。
さびしいとき
私がさびしいときに、
よその人は知らないの。
私がさびしいときに、
お友だちは笑ふの。
私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。
さびしいとき、他人にはわかりません。
友は笑って、「頑張れ」と励まします。
母は、やさしく寄り添います。
でも、本当の私の苦しみを、誰もわかってくれない。
そんな孤独や疎外の中で、“仏さま”というはたらきを、金子みすゞさんは見出しています。
さびしいとき、つらいとき、どうしようもないとき、そうでないときも、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏申す。浄土真宗の行は、そこに尽くされています。
その声は、私の口から出る仏の声。わたしのさびしさをそのまま抱きしめて、「助けるぞ」「大丈夫」と呼びかけています。
さびしいときは、さびしいままに。
(溝邊伸)