死んでいく虚しさが超えられないのは、あなた自身の問題だからではないのか志慶眞文雄(細川巌先生から問われた言葉)

志慶眞文雄さんのインタビュー記事(『同朋新聞』2018年10月1日号)の言葉です。

志慶眞さんは、沖縄県で小児科医院を営みながら、聞法道場を開催されています。医学部時代、広島大学会館で行われていた細川巌先生(当時、福岡教育大学名誉教授)の「歎異抄の会」に参加。その際、細川先生から「死んでいく虚しさが超えられないのは、あなた自身の問題だからではないのか」と問われ、ハッとしたそうです。

「目の前のやるべき対象を変えることで生死の問題を解決しようと四苦八苦してきましたが、はじめて、実は自分自身の問題だったと気づかされたんです」と志慶眞さん。その後、沖縄に帰り、妻に「もう一度真宗の教えを聞くために、お金をかけて二階に聞法道場をつくりたい」と歩みをはじめられました。

志慶眞さんが大切にされていることは、「わからないことはわからないままでいい」。「南無阿弥陀仏」が分別で高上がりしていた傲慢な自分を翻す。「ああ、そうか。自分に願いがかけられていた。それを見失って生きてきたんだ」と。

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今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

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今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

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今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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