仏法聞き難し 今すでに聞く三帰依文より

仏法はこれから聞くのではない。

 

「今すでに」聞いている。もうすでに聞き終わっている。

 

仏法は寺の本堂にあるのでもなく、山の上にあるのでもなく、毎日の生活の中にあった。

 

私の人生がすでに仏法の中にあった。

 

法を聞き、ああ、なるほどほんとうにそうだなと思えるというのは、今まで形が見えなかっただけで確かにそこにあったものが、光に照らされてくっきりと浮かび上がってきたということなのではなかろうかと思う。

 

その衝撃と驚きと喜びと。

 

我を照らしだす光がある。

 

「三帰依文」より

 

(島 充)

 

MONTHLY

今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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今月の言葉

今月の言葉31

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今月の言葉

今月の言葉30

 標記のご法語は、親鸞聖人のお書きになられた『教行信証』のはじめにあるおことばです。  私はお寺に生活しておりますので、日頃よりご門徒さんと一緒にご法事や祥月命日などのお参りをさせて頂いておりますが、そのなかで、最近あらためて考えさせられることがあります。それは、法会の場で目の前にお座りになられているご門徒さん方がこうやって手を合わせられる、そのご縁を作ってくださっている方々のことです。先にお浄土にかえられたおじいちゃんやおばあちゃんかもしれません。お父さんやお母さんのお姿かもしれません。あるいはお盆やお彼岸などでお参りされる方の姿かもしれません。そういった「南無阿弥陀仏」と手を合わせる方々

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