浄土にてかならずかならず
  まちまいらせそうろうべし      親鸞聖人 『末燈鈔』より

この言葉は親鸞聖人がお亡くなりになる2、3年前にお弟子さんに対して「私はすっかり年老いてしまった為、きっとあなたよりも先に亡くなることでしょう。しかし、必ず浄土で待っています」とお話になった言葉だと言われています。

 

私の父は今年(2019年)亡くなりました。

父が亡くなってから「大切な人を亡くすことはこんなにも辛いのか…。辛いというよりも胸がしめつけられるように苦しい…愛別離苦の苦とはその通りだな」と思いながら何気なく本をめくっていると、この言葉に目がいき手が止まりました。

 

「待つ」という時には、その相手が「どうしているだろうか、もうすぐ来るだろうか」などと相手のことを考えると思います。きっと父も私のことを念じながら待ってくれているのではないかと思うと何だか胸が熱くなりました。

それと同時に、私を思い待ってくれている人がいるならば、そのことに感謝し、「これからどう生きていくのか、生ききったと思える人生を送りたい」と思いました。

 

 

ともに浄土の再会をうたがいなしと期すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれなからん。 (『真宗聖典』607頁)

 

ともに浄土でまた必ず再会できると期待しても、遅れ先立つしばしの別れへの悲しみに苦しむのが我々迷える凡夫の姿であると「口伝鈔」の中で言われています。

 

しかし、呼びかけ働きかけながら、必ずまたあえると待ってくれている人がいることの有難さ。

「かならず、かならず」と誓われる力強さに喜びを感じ、では「どう今を生きていくのか」と問われてくる言葉だと感じます。

 

(林田 真貴子)

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