憎しみは憎しみによって止まず、
愛によってのみ止む『法句経』(ダンマパダ)
2019年12月4日、医師でペシャワール会現地代表の中村哲さんが亡くなった。
医療支援を目的にアフガンにわたるも、食糧難や紛争の惨状を目の当たりにし、「百の診療所より1本の用水路を」と、砂漠化した土地に水路を引き、潤う緑の大地がよみがえった。
「武器ではなく、いのちの水を」とはETV特集のタイトルであるが、銃弾に倒れた中村さんを思う時、憎しみではなく、私たちは何を大切にすべきか。あらためて問いたい。
中村さんは、クリスチャンであったそうだが、人と人とが認め合い、喜びを分かち合う世界を願うことに、宗教や宗派という垣根は越えられると信じたい。
ちなみにこの言葉は、「サンフランシスコ講和条約」で日本が膨大な戦後賠償を求められたとき、当時のセイロン代表で後の初代スリランカ大統領ジャヤワルデネ氏が演説で引用。この演説があったからこそ、戦後の日本の経済成長が成り立ったとも言われている。
(溝邊 伸)
MONTHLY
今月の言葉
今月のことば34
「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。
MONTHLY
今月の言葉
今月のことば33
お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。
MONTHLY
今月の言葉
今月の言葉32
先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。 私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか