今月の言葉22
2021.06.12
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ
教行信証(総序)
3月に、一年ぶりの彼岸会をしました。法要の中で、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(聖典149頁)という聖典の言葉が思い浮かびました。
「解読教行信証上巻 東本願寺」の訳によれば、「たまたま行信を獲たなら、はるかむかしからのご縁があったことを慶ぼう」とあります。
私なりに、乱暴な訳ですが、たまたまお寺に来ようと思いたち来たならば、はるか昔からのご縁があったことを慶びましょう。そう訳しても良いかと思います。宿縁とは、遠い昔から、今ここに自分があることを支える全ての条件を言います。
今、私がいることは、私に父と母がいるからですが、その父母にも父母がおられて、その父母にも当然おられるわけです。
父と母で2人、父と母の両親で4人、そのまた両親で8人、20代迄さかのぼると100万人を越します。今私がおるということは、たくさんのいのちの繋がりを受けて生きているのです。そして、お寺にお参りに来るということは、沢山の先祖そして両親の願い、お寺を大事に思ってこられた思いやお姿を受けて今私がお寺にお参りしているのではないでしょうか。先祖は、私達をお育て下さっておるのだと思います。
亡き人を思い供養をする大切なことだと思います。しかし、供養している私達が、生きていることに喜びをもてなかったら、先祖も悲しいと思います。この世は、娑婆と言われるように苦しみ悲しみの多い世界です。しかし、苦しみや悲しみは無くならないけれども、その事を通して人生を深めて欲しいと願われている。また、私に先立って歩んで行かれた方々がおられる。そのことは、大事にしていきたいと思います。
(佐伯和則)