国の中の人天『仏説無量寿経』

新型コロナウイルスの感染が確認されたクルーズ船に対しての日本政府の対応が批判される中、ネットや巷の声に「なぜ日本が批判されなければならないのか」「そもそも船はよその国の船ではないか」「中国人がもってきたウイルスではないか」「中国人が持ってきたウイルスで日本が批判されるのは腹が立つ」「入れさせるな、さっさと帰れ」等の声がありました。

 

もしも、あの船に中国人の友だちが乗っていたら、どう思うでしょう。また、家族が乗っていたら、知り合いがいなかったとしても、目の前で苦しんでいる人を見たら、それが我が子と同じ年頃の人だったら、「助けてください」と言っている人を前にして、「さっさと帰れ」と言えるでしょうか。

 

私たちは「国」というフィルターが目の前にかかってしまうと、「一人」が見えなくなります。

 

『仏説無量寿経』には、仏様の四十八の本願が説かれていますが、そのうち、十六ケ所の本願の冒頭に「国の中の人天」と出てきます。これは「国の中の人々」「国の中の一人一人」という意味です。

 

また、親鸞聖人の一生を尋ねてみると、35歳で流罪にあい、その地で出会われた「いなかの人々」、その一人一人と出会ってこられたのでした。この時代に生きる、何一つ後ろ盾も持っていない、およそ国というものを背景に持っていない丸裸の「一人」に出会ってこられたのです。

 

私たちは国というフィルターをかけて物事をみるとき、そこに生きている「一人」「一人の苦しみ、悲しみ」が見えなくなってしまうという問題を常に持っていることを忘れてはならないのではないでしょうか。

 

(木屋 行深)

MONTHLY

今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

詳しく読む

MONTHLY

今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

詳しく読む

MONTHLY

今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

詳しく読む