釈迦弥陀は慈悲の父母 種種の善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり親鸞聖人『高僧和讃』

このご和讃は、親鸞聖人が七高僧のおひとりであります善導大師についてお詠みになられたなかの一首です。

慈悲とは、衆生を慈しんで楽を与え、憐みいたんで苦を取り除くおこころですが、そのおこころを父のごとく、母のごとくとお喩えになられています。

私たちにとって父、母とはどのような存在でしょうか。さまざまに思われるところもあると思いますが、一つ大切なこととして私(わたくし)をお育ててくださった方ということがあるのではないでしょうか。もう少しことばを足すと、私の望む、望まないを超えて、それに先立って私の幸せを願いながらお育てくださった方ということでしょう。

このご和讃をいただくとき、釈迦・弥陀が、巧みに善く手だてをめぐらして私たちに信心を起こさせようとするおこころと、父母が子を育(はぐく)むすがたとが重なって聞かされ、みほとけの御恩の深さをあらためて感じさせられます。

(齊藤曉雲)

 

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今月の言葉

今月の言葉27

日本でも哲学者として有名なカントは1724年に東プロシアの首都ケーニヒスベルク(現在のロシア領カリーニングラード)に生まれ、1804年に衰弱死によってその生涯を終えました。彼の生まれた時代はヨーロッパの各地でひっきりなしに戦争が起きていました。71歳のカントが『永遠平和のために』を著したその背景にはやむにやまれぬ思いがあったことでしょう。 2022(令和4)年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始しました。当初、この原稿を書く頃には戦争は終わっているものだとばかり思っていました。それはロシアやウクライナ、さらにはその他の諸外国も同じ思いだったかもしれません。しかし実際には戦況は長引き

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今月の言葉

今月の言葉26

人間は死を抱いて生まれ、死をかかえて成長する 『信國淳選集』第六巻「第一部浄土」柏樹社 私たちは誰もが「生まれたものは死に往くもの」とは知っていても、死を抱えて生きているという実感がないのが事実です。死はこの身において成熟するものと言われますが、まことにその通りだと言わねばなりません。 私はこの歳になって初めて老眼を体験しました。まさに我が身が老いゆくもの死にゆくものであるという事実を突きつけられました。まさに死を抱えて生まれてきたという事実を分かったつもりでいる人間的未熟さを感じずにはおれませんでした。 人間は、いつまでも生きたいとおもう心によって死を逃れようとし、若

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今月の言葉24

最近、私はSNSを通じて他宗の友人が増えました。その中で浄土宗の方と話す際に法然上人の一枚起請文を改めて読み直しました。法然上人が亡くなる直前に記され、弟子の勢観房源智に授けた文ですが、法然上人の御言葉でありながら、私は親鸞聖人と蓮如上人を思うのです。 「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶり(蒙)て、信ずるほかに別の子細なきなり。」 (『真宗聖典』627頁 「歎異抄」第二条) 「ただ一念に弥陀をたのむ衆生は、みなことごとく報土に往生すべきこと、ゆめゆめうたがうこころあるべからざるものなり。」 (『真宗聖典』835頁 「御文」

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