目の前の方を
ただの人と思うなよ高橋 卯平

はじめてこの言葉を聞いた時、ガツンとやられた気がした。

居て当たり前、やって当たり前、出来て当たり前。

普段そんなふうに家族を見ている私に、卯平さんの言葉が突き刺さる。

「あんた、何様?」

私が本尊と仰ぐ阿弥陀さまは、生きとし生けるものすべてを救うと誓って仏さまになられた。

もちろん私の目の前の方もそのひとり。それを見下すとはあんた何様ですか?と。

感謝の気持ちが微塵もない自己中な私。穴がなくても掘って入りたい気分です (ToT)/~~~

 

高橋 卯平

北海道士別の農家の人。宮城県で代々「念仏高橋」と呼ばれた家に生まれる。

今回ご紹介した言葉は、卯平さんが親の遺言と称して事あるごとに語られたという言葉です。

参考資料『坊主は乞食だぞ』林 暁宇著(樹心社)

 

(蓮尾 康行)

MONTHLY

今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

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MONTHLY

今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

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MONTHLY

今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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