[今月のコラム]彼岸に憶う

真宗大谷派九州教区
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[今月のコラム]彼岸に憶う

2025.03.01

彼岸に憶う

春や秋のお彼岸になると、お花を持ってお墓参りをする人々の姿がテレビニュースで放映される。中には、亡くなった方の好物を持ってお参りする人も多いようだ。特にお彼岸の頃になると、いったい「先祖供養」というのはどういうことをいうのだろうかと改めて考えさせられる。”亡くなった”先祖が迷わないように、魂を慰めてもらうためにひとつお経でもあげてもらって…”との声を聞くこともある。慰めなければ自分に災いが降りかかったりするではという思いもあるのだろう。そう考えると、私たちが先祖供養をするという心の中には、亡き人に対する深い感情の他に、自分自身の身の保身ということが混同しているように感じる。いったい先祖を大切にするということはどういうことなのだろうか。それは、やはり先祖から賜ったものを「歓ぶ」ということがなければならないのではないだろうか。

つまり、先祖から賜った「この身」を自分が歓べるのかということ。私自身が自分の人生に感動するということ。そこではじめて供養となり得るのではないだろうか。そういうことがなければ、私の心の区切りや気晴らしということで終わってしまうように思う。

「供養」という言葉は、サンスクリット語で”プージャー”といい、”尊敬”という意味がある。亡くなった方々を本当に尊敬しているであろうかと問い直される春である。