[今月のコラム]鬼は外 福は内って?
2025.02.01
鬼は外 福は内って?
”日本人はおかしな宗教観(宗教心)”という外国の方の文章があった。「子どもが生まれたら字画を見てもらって名前を付け、七五三だと言っては神社に参拝し、結婚式だと言っては教会で挙式を挙げ、家を建てる時には風水で見てもらい、厄年だと言っては神社でお祓いを受け、法事・葬式はお寺の住職さんに頼む。いったい日本人は、どんな教えに生きようとしているのか。何を拠り所として生きているのだろうか」と。確かによく見聞きする風景でもある。
これらのことからも分かるように、どうやら「自分の都合」というものを拠り所として生きているようだ。生活の中で起こる出来事は、自分の都合・自分の思いの悪い出来事や災いが、”少し”でも降りかからないようにという思いからなのであろう。また一方では、深く考えずに、ただ皆がそうするから同じ事をしているという人もいるだろう。
なにか、宗教さえも自分の都合・思いを叶える道具にしてしまっているのではないだろうか。宗教とは何か。いったい自分は何を拠り所として生きているのかを問い直さなければならないと思う。
2月になるとあちらこちらで行われる節分の豆まき。”鬼は外 福は内”という声が響く。その声は、”自分の都合の悪い事・悪い物・悪い人はあっちへ行け~””自分の都合の善い事・善い物・善い人はこっちへ来い~”という声となって聞こえてくる。
さて、あなたは、節分のさまざまな行事・風習の中で、何を感じているでしょうか。