[今月のコラム]学びの質
2025.04.01
学びの質
日本の春は入学のシーズン。あなたは、高校や大学で一生懸命に勉強してきたのに”あれ?”と思ったことは無いでしょうか?
ある大学で幼児教育を学ばれ、幼稚園のある故郷のお寺に帰った方が、「本当に自分は大学で何を勉強してきたのだろうか?」とお寺の広報誌で述懐されていた。故郷を離れ、幼稚園の先生になるために一生懸命に勉強し、カリキュラムを終えて、子どもたちの前に出た時に、「あれ?私は学校で何を勉強してきたのだろうか?本当に学んだのだろうか?」と感じたという。このようなことは、僧侶・教師の資格を取るために大学に行った者も同感するところではないだろうか。そのことは、一つには、人間不在の学びであったということ。そしてもう一つは、皆がそう言っているからと自分も納得していたということがあるのではないだろうか。つまり、他の人によって示されたものをあたかも自分も信じ込んでいた。だから、どれだけいろんな知識を詰め込んだとしても、自ら信じたのではないからぐらつき間に合わない。そこには、何か「自信」ということや「自覚」という言葉のもつ課題があるようにも感じる。人から言われて、皆がそう言っているからと他を信じている自らを信ずる姿であって、自ら信ずるということになっていないのではないだろうか。
私たちは様々な関係の中を生きている。そんな生活のあらゆる場面で、常に学びの質が問われているように感じる。
あなたは、入学式の映像を見ながら、いったい何を感じるでしょうか。