[今月のコラム]非核非戦

真宗大谷派九州教区
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[今月のコラム]非核非戦

2025.09.01

原爆40年の時に出遇うこととなった「非核非戦」という言葉。共に生きる大地に居ながら、共に生きることのできない人間への深い仏さまの悲しみの言葉であろう。
核兵器の開発も戦争も「人間」が始めたこと。人間が核爆弾を作り出し、人間が使用し、人間をはじめすべての生きとし生けるものを殺戮していった。ならば、「人間」が始めた限りにおいては、「人間」によって止めることが出来るのではないか。
しかし、「隨縁存在」である人間は、どんなに争わないという硬い意思を持っていても、人を傷つける種を持っている。それが縁となって開花するのだ。それこそ、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)とのお言葉が思い出される。
そして、「反核反戦」という私たちの日頃の思いに、「非核非戦」という仏さまからの眼差し、自己を問うという眼を賜る時、宗祖のおつくりになったご和讃、「虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」、「善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」など、宗祖が見つめられた人間の相が、自らの姿として言い当てられてくる。
原爆投下から80年を迎える今年、いのち奪われた全ての生きとし生けるものに思いを馳せ、悲痛な叫びを諸仏の声として聞き、その叫びに呼応した一人ひとりの深い懺悔と痛みの中から、共に願生浄土の道を歩まんと決意する「人」が誕生することが待たれているのではないだろうか。