[今月のコラム]悲しみ
2025.10.01
毎日のようにニュース番組等で報道されている戦地の様子。宗教の違い、民族や文化の違い、政権への不満、領土や資源の奪い合い。さまざまな理由によって戦争が始まっていく。そして、兵士をはじめ多くの人々が亡くなっていく。そんな映像を見て、誰しもが心を痛めるのではないだろうか。しかし、そのような心が痛み涙を流すような悲しい出来事の映像を目の当たりにしながらも、用事を済ませるためにテレビの前を一旦離れると、悲しいことに忘れてしまってはいないだろうか。
どうやら人間は、関係性や感情、自身の都合によって悲しむ生きものなのだと気づかされる。仏教では、そういう人間の悲しみの心を「小悲」と言い、そして、そんな人間のありようそのものを悲しんでくださる仏さまのお心を「大悲」というのだと教えてくださっているのではないだろうか。
身近な家族の死でさえも、その人との関係によって悲しみの深さが違うことがある。やはり、亡くなった人の死の悲しみの深さは、その人との関係の深さとも言えるのではないだろうか。
”お父さん、なんで飼っていたお魚が亡くなったらお墓を作るのに、食べちゃったお魚の骨はごみ箱に捨てるの?”と言っていた子どもの言葉を思い出す。