[今月のコラム]不安に立つ
2025.11.01
不安というのは、人間が生き延びるために必要な感情であり、危険を察知し準備するための警戒心を高める役目を果たすという。つまり生きたいという本能なのだ。しかし、過度な不安は、日常生活に支障をきたし、精神的・身体的な健康に影響を及ぼす。そんな不安というものはどこからくるのだろうか。
ウミガメは、卵から孵化すると海に向かって歩き出す。馬の子は、生まれてくると直ぐに立ちあがる。蜘蛛は、生まれてからこのかた誰にも教えられずに巣を張り狩りをする。人間は、生まれてからこのかた誰にも教えてもらわずとも不安を感じる。どうやら、不安というものは、自分自身が思って起こした意識ではないのであろう。いのちそのものの持つべき、いのちの叫びなのではないだろうか。
日々の生活の中で、私たちは様々な不安を感じる。人間関係での不安。仕事への不安。経済的な不安。将来への不安。老いていくことへの不安。死への不安。様々な不安が渦巻いている。そして、そんな不安から逃れようと躍起になり、宗教さえも利用するのだ。ともすると、不安を消すことが救いだと思っているのではないだろうか。しかし、どれだけ頑張ってみても不安が無くなることは無い。
不安があるから教えに遇わずにはいれなかったのではないか。不安があるから聞法せずにはおれなかった。不安があるから今日まで歩んでこれたのではないだろうか。不安や苦悩や悲しみは、私を育ててくださる大切なご縁なのだと知らされる。
