[今月のコラム]都合
2026.02.01
極寒の空に雪が舞う季節。自宅の庭や屋根、各所の道路にも雪が積もり人々を苦しめる。テレビ報道は、そんな人々が困っている生活の様子を映し出す。しかし一方、スキー場では”恵みの雪”とスキーヤー達は笑顔で語る。そんなスキーヤー達も山を降りると思いは一変する。降雨も同じである。農家にとって、農作物への雨は恵みの雨となり、建設現場などで働く人々にとっては厄介な雨となる。
また、冬には無くてはならないストーブやファンヒーター、毛布やダウンジャケット。生活には欠かせない有り難いものであったのに、必要な時期が終われば、片付ける時には邪魔だと言っていることはないだろうか。冬には有り難かったものが、春には厄介者になるのだ。物が変わるのではない。常に私の都合が変わるのではないだろうか。
どうやら人間は、自分の都合によって善し悪しが決まっていくようだ。しかしそれは物だけではないのではないだろうか。大切な恋人やお連れ合い、親友と言っていた者であっても、自分の都合によって”あんな奴”となることがあるのだ。そしてまた他人だけではない。”最近体が言うことをきかんようになった。つまらんようになった。”と過去の自分と比べ、今の自分の思い・都合に合わなくなると、自分をも見捨てるということが起こるのだ。
しかし、自分にとって都合の悪いことは、私を育ててくださる大切なご縁なのだ。自分にとって最も都合の悪い「老・病・死」ということでさえも、人生を輝かせてくださる尊い事柄であったのだと気づかせてくださるのではないだろうか。
私に先立って念仏申す人生を歩んでくださった方々が、仏法聴聞の大切さを教えてくださっている。
