[宗務の傍らで]災害と念仏往生

真宗大谷派九州教区
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[宗務の傍らで]災害と念仏往生

2026.10.01

7月28日に発災した「令和8年熊本地震」で被害に遭われた寺院・教会、ご門徒をはじめとする被災者の方々に対し、衷心よりお見舞いを申し上げます。
当欄を担当するにあたり、その初回にこの大災害についてふれること、ふれなければならないことに大きな葛藤があったし、今もその渦中にある。この葛藤の元にあるものは、この地震災害の「当事者性」にあるように思う。
このたびの震災では、「何らかの被害のあった寺院が54ヵ寺、うち全壊規模の甚大な被害のあった寺院は八代市内に6ヵ寺」と教区として公表してきた。これまでに発生した災害との比較や対応などの面からも、状況を数値化して広く報告していくことは、現実的な有効手段である。しかし、被災された現地に入り、その現状を目の当たりにしたとき、その一ヵ寺一ヵ寺、一人ひとりの苦しみ、不安、つらさを推し量ることは到底できるものではない。
15年前の東日本大震災によって甚大な被害を受けた(当時の)仙台教区に籍を置く時期があり、教区として「震災からいのちを考える」教化活動が継続されていた。自分は九州出身の、近畿地方から赴任してきた職員。現場の悲しみの声を汲み上げることなんておこがましいことだと感じていた。「当事者性」の欠如である。 教区のある方にその悩みを吐露すると、「ぼくたちも被災した一人ひとりの気持ちなんてわかるはずもない。きみはきみなりの思いで震災に関わってほしい。この震災のことを忘れないでほしい。」との言葉をいただいたことを思い出す。
また、今回の地震災害の後に、ある先生から仰っていただいた。「支援活動は結構だが、宗派としての、真宗大谷派としての活動でないといかん。地獄の中で念仏申す覚悟があるかどうかや。」
「被災されたすべての方に、一日も早く安心して日常生活が送られるように、宗派として教区として出来得る限りの支援策を講じていく。」この言葉が空虚に被災地に響くことがないように、私は私なりの「当事者性」をもって誠実にこの大災害に向き合っていかねばならない。

九州教務所長 寺田正寛