我必ず聖にあらず
彼必ず愚かにあらず
共に是れ
凡人(ただひと)ならくのみ『十七条憲法』 聖徳太子

ニュースや新聞は新型コロナウイルスの報道ばかりです。不要・不急の外出自粛で家族と過ごす時間が多くなっているのではないでしょうか。

さて、聖徳太子は御存知のように仏教に深く帰依され、役人の心得を記した『十七条憲法』にも仏教の影響が色濃く見受けられます。その第十条に上記の一文があります。私達は人と向かい合う時、どうしても相手に優劣や分別をつけながら接してしまいます。相手が自分より劣っていると判断した途端に、相手の声が聞こえなくなってしまいます。聖徳太子はそのような人間の傲慢さを戒めたのではないでしょうか。仏の智恵に照らし出された我々人間は、共に凡夫の身であるという仏教的な平等性がこの背景にはあります。

ところで、この戒めは何も役人の為だけに存在している条文だとは思えません。私達の様々な人間関係に当てはまるのではないでしょうか。新型コロナ禍によって、私達を取り巻く環境が一変しようとしています。だからこそ、今一度目の前に居る人と向き合う時に自身が如何なる立場に居るのかが問われるのではないでしょうか。

(大城 史雄)

MONTHLY

今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

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MONTHLY

今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

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今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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