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今月の言葉

今月のことば34

「南無阿弥陀仏」、それは形のない「仏さまの願い」が表された「名」。南無阿弥陀仏とお念仏を称え、その名をとおして私たちを救おうとする「仏さまの願い」を聞く。その呼応する関係によって仏さまに育てられていく生活を賜っていくのだ。「称える」の「称」は、「となえること、よぶこと」の他に、「はかる」という意味があるという。いつでもどこでも、私の心と仏さまの心を天秤にのせ、私の心は仏さまのお心にかなっているのだろうかと常に自らが問い直される生活が真宗門徒の生活であろう。

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今月の言葉

今月のことば33

お盆やお彼岸、ご命日など、お内仏(仏壇)の前に座る時、あらためて亡き人のことを思い出す。そして、私の人生に亡き人の人生を重ね、私も老いて、病んで、死んでいく身の事実を突きつけられる時、何を本当に尊いこととして生きているのかと問うこととなる。嫌いな人、迷惑な人であったとしても、今は、私にたくさんの問いをなげかけてくださる大切な人となってくださっている。亡き人が、仏さま・目覚ましめるはたらきとなり、あらためて出あい直すのだ。

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今月の言葉

今月の言葉32

 先日ここ3、4年会えていなかった友人が亡くなったと連絡がありました。その瞬間深い悲しみに包まれましたが、その後徐々に私に湧いてきた感情は、その訃報を届けてくれたその友人の妻に対する感謝の思いでした。「ありがとう」とここまで心の底から思ったことはありません。  私たちが日常的に使う「ありがとう」という言葉は、もともと「有り難し」から来ていて「存在することが難しい。滅多にない」という意味です。人から受ける恩もそれが当たり前だと鈍感になれば、口では「ありがとう」と言っても、ただのあいさつとなんら変わりません。ただ私たちは生死の問題の前に立つと、普段当たり前だと思ってしまうものの「有難さ」に気づか

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今月の言葉

今月の言葉31

 近年、LINEやメールなどSNSを使うことから、年賀状を作って送る人が減っていると聞く。新年に配送される年賀状を見て、久しぶりに思い出す懐かしい顔も多い。その年賀状には、“今年こそ、今年こそ”の文字をよく見かける。その言葉を見ると、思いをこえて生まれながら、なんでも思いどおりにしようとする人間・私のすがたが照らされているように感じる。  私たちの人生は、思い通りにならないものなのだとあらためて教えてくださる。もちろん、自分の努力で思いが叶(かな)うことは多少なりともあるだろう。  しかし、身の事実をはじめ、多くは思いどおりにならないことばかりではないだろうか。また、自分の思いどおりになっ

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今月の言葉

今月の言葉30

 標記のご法語は、親鸞聖人のお書きになられた『教行信証』のはじめにあるおことばです。  私はお寺に生活しておりますので、日頃よりご門徒さんと一緒にご法事や祥月命日などのお参りをさせて頂いておりますが、そのなかで、最近あらためて考えさせられることがあります。それは、法会の場で目の前にお座りになられているご門徒さん方がこうやって手を合わせられる、そのご縁を作ってくださっている方々のことです。先にお浄土にかえられたおじいちゃんやおばあちゃんかもしれません。お父さんやお母さんのお姿かもしれません。あるいはお盆やお彼岸などでお参りされる方の姿かもしれません。そういった「南無阿弥陀仏」と手を合わせる方々

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今月の言葉

今月の言葉29

 暑さが過ぎ去り台風も過ぎ去り稲穂が実る時期となりました。稲穂が実る姿を見ると 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を思い出します。  実れば実るほど、まるで有難うとお辞儀をするかのように稲穂が垂れ下がる様子を詠んだ句です。  あらためて、普段の自分の姿が頭を垂れる稲穂の姿とかけ離れていると実感します。  どうしても、自分がこれまでした経験や価値観を正しいと思い込み、頭が下がらずいつの間にか傲慢になっている私がいます。  親鸞聖人はご自身のことを「愚禿」と名乗っておられます。  『愚禿鈔』には「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」(真宗聖典p423)と書かれており、  「私の

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今月の言葉

今月の言葉28

物語の主人公、イタリア系マフィアのボス、マイケル・コルレオーネは、とある相談のためにカトリック教会のランベルト枢機卿を訪ねます。憔悴しきったマイケルの姿に、枢機卿は懺悔を勧めますが、マイケルは「もう30年も懺悔などしていません。一体どこからはじめればいいのか、私の罪は神の救いを超えています。お時間を取らせることになります。」と辞退を申し出ます。それに対して枢機卿は即座に応えます。「魂を救う時間はあるよ」 このシーンをはじめて見たとき、僧侶である私はハッとさせられました。 日々の法務(月命日、法事、葬儀、境内の掃除など)や事務仕事に追われる私に、枢機卿の言葉が問いかけます。「宗教者と

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今月の言葉

今月の言葉27

日本でも哲学者として有名なカントは1724年に東プロシアの首都ケーニヒスベルク(現在のロシア領カリーニングラード)に生まれ、1804年に衰弱死によってその生涯を終えました。彼の生まれた時代はヨーロッパの各地でひっきりなしに戦争が起きていました。71歳のカントが『永遠平和のために』を著したその背景にはやむにやまれぬ思いがあったことでしょう。 2022(令和4)年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始しました。当初、この原稿を書く頃には戦争は終わっているものだとばかり思っていました。それはロシアやウクライナ、さらにはその他の諸外国も同じ思いだったかもしれません。しかし実際には戦況は長引き

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今月の言葉26

私たちは誰もが「生まれたものは死に往くもの」とは知っていても、死を抱えて生きているという実感がないのが事実です。死はこの身において成熟するものと言われますが、まことにその通りだと言わねばなりません。 私はこの歳になって初めて老眼を体験しました。まさに我が身が老いゆくもの死にゆくものであるという事実を突きつけられました。まさに死を抱えて生まれてきたという事実を分かったつもりでいる人間的未熟さを感じずにはおれませんでした。 人間は、いつまでも生きたいとおもう心によって死を逃れようとし、若さを誇って老いゆくことを厭う。そこに私たちの生に対する不安や苦悩が現れます。 しかし、それらの

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今月の言葉25

先日、ロシアがウクライナに武力侵攻を開始しました。それを契機に、日本の政治家や評論家が抑止力という名目で、公然と憲法九条、非核三原則を揺るがす「核共有」政策(核保有国が核兵器を同盟国と共有すること)の検討を訴えています。 戦争はいつも互いに相いれない正義と正義のぶつかり合いによって引き起こされます。しかし、いかなる正義であっても、血の流れる行為は許されません。 かつての戦争で、私たち真宗大谷派は、み教えを曲解し、阿弥陀仏の本願の名のもとに、多くの若者を戦地へと駆り立て、あらゆる人々を悲しみの底に突き落しました。 その過ちを二度と繰り返さぬよう、戦後50年を経た1995年、慙愧の念をもって

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