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今月の言葉
今月の言葉24
最近、私はSNSを通じて他宗の友人が増えました。その中で浄土宗の方と話す際に法然上人の一枚起請文を改めて読み直しました。法然上人が亡くなる直前に記され、弟子の勢観房源智に授けた文ですが、法然上人の御言葉でありながら、私は親鸞聖人と蓮如上人を思うのです。 「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶり(蒙)て、信ずるほかに別の子細なきなり。」 (『真宗聖典』627頁 「歎異抄」第二条) 「ただ一念に弥陀をたのむ衆生は、みなことごとく報土に往生すべきこと、ゆめゆめうたがうこころあるべからざるものなり。」 (『真宗聖典』835頁 「御文」
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今月の言葉
今月の言葉23
数年前、九州大谷短期大学真宗研究所主催の教化講習会に参加しました。法話の研鑽のみならず、教行信証の学習・仏教讃歌・カウンセリングの基礎・靖国問題学習など、お寺で生活する中ですぐ役立つ学びと僧侶として常に心がけておきたい様々な学びをいただき、素晴らしい同朋とも出遇えました。自分が思っていた以上に豊かな時間を与えてくれた教化講習会という場に、感謝の気持ちでいっぱいです。 特に、齋藤豊治先生のコミュニケーション学習の中で言われた「やわらかく接する」ということを、今も日々心がけています。 私たちは、苦手な人間に会って「ダメだ」と思った瞬間、威嚇や自己防衛反応で固さが出る。そのロック
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今月の言葉22
3月に、一年ぶりの彼岸会をしました。法要の中で、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(聖典149頁)という聖典の言葉が思い浮かびました。 「解読教行信証上巻 東本願寺」の訳によれば、「たまたま行信を獲たなら、はるかむかしからのご縁があったことを慶ぼう」とあります。 私なりに、乱暴な訳ですが、たまたまお寺に来ようと思いたち来たならば、はるか昔からのご縁があったことを慶びましょう。そう訳しても良いかと思います。宿縁とは、遠い昔から、今ここに自分があることを支える全ての条件を言います。 今、私がいることは、私に父と母がいるからですが、その父母にも父母がおられて、その父母にも当然お
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今月の言葉
今月の言葉 21
私たちは何かに傷つけられたり、悲しさや寂しさを感じるとき、「人に知られたくない」、「周りにいる人たちを心配させてはいけない」、このような思いから我慢することがあります。 我慢してじっと耐えること、それ自体は何も悪いことではありません。けれども、無理に我慢しているとその悲しみはだんだん大きくなって、やがてそれは怒りとなり、相手を傷つけたり、他の誰かに八つ当たりすることがあります。怒りをぶつけられた相手の怒りはまた他の誰かに向けられますことになります。 怒りを誰かにぶつければ、その一瞬は気持ちよく感じます。ではその後に空しさのような感覚を覚えるのはなぜでしょう。怒りをぶつけられた相手の
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今月の言葉 20
大谷専修学院の元学長である竹中 智秀先生が阿弥陀様の「摂取不拾」の働きを「えらばず きらわず みすてず」とおっしゃられました。 私たちは日々の生活の中で、 選び、好き嫌いをし、いろいろなものを排除してしまいがちです。しかしそれは裏を返せば、自分も他の人から「選ばれ、嫌われ、見捨てられ」ていることでしょう。 そのことに気づいたとき、最初は傷つき、終いには自らを選び、嫌い、見捨てていくかもしれません。 「摂取不捨」の阿弥陀様のお心は、そんな弱さを持った凡夫に過ぎない私たちをつねに見て下さり、決してお前を見捨てはしないよと語りかけてくださる心なのだとおもいます。
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今月の言葉 19
私たちはどうあがいても独りで生まれそして独りで死んでいく。 その事実は決して変わりません。 なんと寂しく、そして虚しいことでしょうか。 どうにか人とつながりたいと思っても、他人の考えていることは分からず不安な毎日を送る日々です。 学生時代に一人暮らしをしていたのですが、無性に寂しくなる夜がありました。そんな時はドライブをしながらラジオを聞いていたものです。周りは真っ暗で誰もいない中、遠い遠い自分では行ったこともない場所から、会ったこともない人の声が電波に乗って私のもとに届く。それが不思議となぜか私の心を落ち着かせてくれていたことを思い出します。 直接人と会うこ
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今月の言葉 18
このご和讃は、親鸞聖人が七高僧のおひとりであります善導大師についてお詠みになられたなかの一首です。 慈悲とは、衆生を慈しんで楽を与え、憐みいたんで苦を取り除くおこころですが、そのおこころを父のごとく、母のごとくとお喩えになられています。 私たちにとって父、母とはどのような存在でしょうか。さまざまに思われるところもあると思いますが、一つ大切なこととして私(わたくし)をお育ててくださった方ということがあるのではないでしょうか。もう少しことばを足すと、私の望む、望まないを超えて、それに先立って私の幸せを願いながらお育てくださった方ということでしょう。 このご和讃をいただくとき、釈迦
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今月の言葉 17
『蓮如上人御一代記聞書』は、本願寺中興の祖である蓮如上人の言行録です。蓮如上人は毎日拝読している『御文』でお馴染みかと思いますが、『御文』にも、この御一代記聞書の中にも、なかなか僧侶にとって耳が痛い言葉があります。 この言葉は聞法についての姿勢を言っておられます。 聞法はどこまでも我が事を言い当てて下さっていると聞いていくものですが、ややもすれば、自分を棚上げして、諸々の事だと思ったり、誰々に聞かせたい等々。さらに僧侶の立場になるともっと悪質で、我が身に聞くどころか、何か自分で話すときの参考として聞いているのである。 そんな自分の聞法の姿勢を言い当てら
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今月の言葉 16
朝日新聞(2020年12月3日)のインタビューより。 コロナ感染症の対策のために、医療機関や福祉施設では面会が規制される中、家族と一度もあえないまま死別する例が多くなっている。 突然の死別に、あいまいな喪失感を抱き葛藤に苦しむ家族を取材してきたノンフィクション作家の柳田氏は、「その場で手を握り、体をさすり、耳元で声をかける。ぬくもりが言わば『心の血流』となって伝わります」「コロナ患者を受け入れた病院が感染防止だけを考えるなら、患者と会いたい家族は邪魔になる。科学主義を突き詰めればそれが結論です。でもたとえ重症化した人でも、ウイルスと治療の拮抗関係の中にだけ生命がある
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今月の言葉 15
わたしたちは、なるべく悲しみには出会わずに日々を楽しく生きたいと、つい非現実的な在り方に埋没しそうになります。 そういう風に、明るく元気に、そして病気をせず長生きすることが美徳だと思えば思うほど、死に往かなければならない我が身を嘆き、そのことを思う度に苦しまなければなりません。 それは自ら造った苦しみに自らが苦しめられていることになるのです。 わたしたちは「生あるものは死に帰す」という『無常の道理の中に生まれた自分』であるということを受け入れられないが故に苦しんでいます。 ですから、生死の苦しみから逃れるという在り方は、現実的ではないのです。 むしろそれを