コラム
ハンセン病問題部会事業報告
「狂ってるよ、この国は。」
竪山勲氏の静かな怒りの声が、しんと静まり返った会場に、重く、深く、のしかかる。
2021年4月6日から7日にかけて、解放運動推進協議会ハンセン病問題部会「ハンセン病療養所退所者との交流会」が開催された。講師は、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会(全原協)事務局長である竪山勲氏と、ハンセン病訴訟に長年携わる八尋光秀弁護士。竪山氏は「ハンセン病家族訴訟勝訴・その後」、八尋氏は「ハンセン病冤罪事件再審請求に向けて」という題でそれぞれ講演を頂いた。
1日目、竪山氏は「らい予防法違憲国家賠償訴訟を提訴してから約20年の間に、第一原告の13名のうち4名が生き残っている。一年がマッハな速さで進んでいる。」と講演の冒頭で述べたのち「ハンセン病元患者の平均年齢は87歳となり、みんな嘘(本名を名乗ることができない。出身地を言えない)をつきながら生きていかなければならない。社会復帰をしたものはただの一人もいない。」と述べ、国に賠償訴訟で勝訴したにも関わらず、今もなお、被害は続いているのだと語った。そして、この講題について、真宗大谷派の僧侶に向けて「大谷派のみなさんは、何をどうしていましたか?」と投げかけた。100年にも渡るハンセン病の差別被害を見て見ぬふりをし続けていた、加害当事者であること痛烈に感じることであった。
八尋氏は弁護士の立場から、ハンセン病訴訟において元患者の名誉回復をすることが自身の責務だと述べ、熊本の菊池事件は、最初から最後までハンセン病差別を貫いた事件だと強く訴えた。また、日本の死刑制度についても「不完全な人間に人を裁けるわけがない」と述べ、「死刑判決を受け執行された人は冤罪であっても再審請求ができないし、身内はしにくい。治安が一番良い日本に死刑制度があるのはおかしい。宗教者の意見が必要だ。」と強く主張した。
2日目は、肝属郡錦江町にある真宗大谷派眞正寺にて、竪山氏と星塚敬愛園の学芸員である原田玲子氏との対談形式で、国賠訴訟までの歩みについて講演を頂いた。竪山氏は「この国を愛しているが故に、国賠訴訟に踏み切ったのだ。」そう強く主張された。「父も母もこの国で生まれ、他の国を知ることなく死んでいった。私もそうだ。外国を知らない。本当に外国ってあるのだろうかと思うくらいだ。私はこの国しか知らない。これは義務の遂行だ。愛する我が国が過ちを犯した以上、その責任を負うことを追及するのは、当然の責務だ。」と語った。また、第一原告の13名で国賠訴訟を始めた当初は、療養所内では大反発だったという。特に女性の原告は言いやすいからか、相当ないじめを受けた。そんな中、国賠訴訟を諦めることなく約20年もの年月を闘ってこられたのは、敬虔なクリスチャンや、仏教徒がいたからだと竪山氏は話された。「神や仏を見つめて歩いていたからこそ、この勝訴までたどり着けたのだ。」そう語る竪山氏。
2日間の交流会を通して、また講演を聴聞する中で、竪山氏や八尋氏の熱き思いを肌で感じた。また“この国に生きるすべての国民は、みな等しく加害当事者である。”という深く重い課題を一僧侶として頂いた。この課題とどう向き合っていくのか。今後が問われる交流会となった。
【参加者の感想】
・今回の研修会を通して、改めて膝を突き合わせて行う交流の大切さを感じた。
・リモート研修活用していかなくてはならないが、やはり皆とあって研修する大切さを感じた。地元に帰っても歩みを止めずに活動していきたい。
・今回の研修会で近隣(鹿児島組)の方々や若い方が参加された事は大きなこと。これから期待できると感じた。
・以前の教区では、このような研修会や学習会・意識的な意味も含めて広がりがなかったが、今回の研修では自分も含めて、ハンセン病問題部会以外の方にも参加があったことはとても良かった。九州教区の解放運動事業として、他部門の方々にも参加してもらいたい。
・ハンセン病について、知っている“つもり”だったが、本当に“つもり”であった。重い課題を頂いた。退所者と直に出あい、肌で熱を感じた。同時にもう時間がないとも感じた。