親鸞聖人のご生涯

流罪(35歳~)

念仏の教えは、当時の仏教界から非難が起こり、朝廷より厳しい弾圧が加えられます。念仏することも教えを説くことも禁止され、法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪となります。

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